秋田市と弘前市

- 設計の仕事

「弘前が生み出した人材や作品など宝物を発信していく場所になってほしい!」

そんなクライアントからの要望から、我々は、弘前という地域をみつける場として、

・文化の活動拠点として発信する場

・人々がその文化に関する情報を交換し共有できる場

・フレキシブルな活動の場

・まちの四季や行事を感じ手楽しむ場

・他の展示ギャラリーとのネットワークを生む場

このような場が企画または季節や周囲の行事によって柔軟に活用できるプログラムとして、 我々はハード(建物)とソフト(企画)が関係しあう空間を目指した提案を行いました。

ひろさきストアハウス

 

秋田に近い地方都市のひとつではありますが、その個性はまたちがうもので行けば行くほど興味がひかれる場所でした。

 

弘前のプロジェクトを考えていた時期がありました。そこでの経験などをふまえながら少しお話ししたいと思います。

弘前は不思議なまちでした。それは寺町や弘前城の城下町は和の情緒あふれながらも、明治期の文明開化のおもかげを感じるレトロな洋館がたくさんある。和洋の文化が混在したまち。でもそれがなんとなく調和して見えるのもまた不思議な印象を受けたんですよね。

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なぜこのような和洋折衷の街が存在しているのか。これは、弘前市の「学都」そして「軍都」としての歩みが大きく影響しているようです。

明治期に入ると弘前を学問で盛りたてようと考え、西洋式の教育を積極的に取り入れられました。宣教師が英語の先生として招かれ学問を大きく発展させていくなかで、建築様式や宗教的要素にも大きな影響を与えました。そのなかで数多くの西洋風の建築物が建てられました。明治29年には第八師団本部が弘前に置かれたことにより、軍関係建築に関しても、その要素を大きく取り入れられました。そしてなにより弘前のまちは戦争の空襲から免れたため、未だに現存する建物が多く残っているのです。 青森は空襲で壊滅したが、弘前には空襲がなかった。これら洋のおもかげ残るまちの存在が影響したのかもしれませんね。

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そんな弘前の街並みの中で、この前コンペの設計を行ったわけですが、

ひろさきストアハウス

敷地周辺は桜で有名な弘前城周辺の城下町であり、まち周辺が景観重点地区となっていました。そのため、建物を建てるにあたって、ガイドラインがあり、それに沿いながら設計を行う必要がありました。

弘前景観計画ガイドライン

このガイドライン。そのまま設計してしまうと、おそらくうそっぽいの街並みが形成されてしまいます。まさにできてしまうものは「はりぼて」。実際この周辺にはそんな建築があったりしました。ただ行政のガイドラインにあわせただけの建物に見えてしまいます。はたしてこれらの新しくできた建物は弘前の街並みを尊重し、更新しようとする想いがあるのかと思ってしまいます。

市民の弘前のまちを未来へ残したいという想いとそれをできるだけ制度的にした行政の想いを組みながら、設計者はそこに提案と自己の解釈をふまえながら設計をしなければいけません。ルールそのまんまの建築だめです。そこは設計者がよりよい方向を模索して行政とやりとりをすることが必要です。もちろん行政側の担当者もきちんと書かれているからとか杓子定規な対応ではだめです。

ルールを活用してよりよいものにするかは、設計側のまちの読み取りとそれを審査する側が共に想像し設計者の話に耳を傾けてくれる柔軟な姿勢が大事であると考えます。

それによって、まちの一部となる建築ができあがり、まちが更新される!

大学院のときに景観ガイドラインの研究を論文にまとめたのですが、実務をとおして考えることができてうれしかったです。そんな想いがめばえた弘前での設計コンペでの経験。とても勉強になりました。ありがとうございます。

さて、受け継ぐ街並みや歴史が残っている弘前に比べると秋田には、中心市街地にそんな街並みはなく、特色が見出せない状況であります。秋田の市街地の景観ってなんだろう?どう更新してゆけばいいのだろう?

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